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三人寄れば文殊の知恵

三人寄れば文殊の知恵

法然の哀しみを読んで

「法然の哀しみ」という本を読みました。

大変おもしろかったです。

ところで、鎌倉仏教を開いた祖師のなかで親鸞聖人(浄土真宗)と
道元禅師(曹洞宗)の二人は最近流行で書店へ行くと
たくさん関係書籍があります。

それに比べると法然上人(浄土宗)と栄西禅師(臨済宗)
について書いたものはあまりありません。
同じ禅と浄土なのに何故でしょうか?

もともと鎌倉仏教は個人救済の傾向が強いのですが
特に浄土真宗は「阿弥陀如来に極楽往生を願う」
曹洞宗は「座禅」と純化された思想ですので現代人には
分かりやすいのかも知れません。

それに対して法然上人は大原問答(京都の大原で比叡山の
僧相手に法論を行った)をしたり「南無阿弥陀仏」を
すすめながら受戒も行うあたり、
栄西禅師は禅・密教・戒律の三宗兼学ということで
純粋な禅でないところが分かりにくと
おもわれているような気がします。

親鸞聖人と道元禅師のお二人は思想的には
純粋なところがあり、行動も世間にへつらうことなく
宗教家としての生涯を全うされています。

現代ではそのあたりに共感を憶える方が
多いのも理解できます。
興味がある方は著作を読んでみてください。

ところで、この二つの教えは何故生まれたか。
実は本題の法然上人と関係があるのです。

それ以前の宗派は南都六宗に加え真言・天台の二宗です。
南都六宗は学問宗で今の宗派とは異なり学派とも
言うべきもので、基本は大乗仏教です。

大乗仏教というのも誤解されているようですが、仏教哲学を
ベースにして菩薩行(他者を救う)を行い成仏をめざします。

真言・天台もその仏教哲学の上に現世での成仏を目指す教えです。

いずれも総合的に学・行を行う教えでした。

そこで、登場したのが法然上人です。

法然上人の専修念仏の教えなくしては後の親鸞、道元、日蓮の
各祖師の教えは生まれなかったかも知れません。  

長々と前置きが入りましたが、ここから本題です。

法然上人は比叡山で師である叡空上人と激しく対立した。

まずは戒体についての考え方である。(上巻P192)
戒体というのは戒を授かった時、その授かった人の中に
生まれるもののことである。

それについて、梅原氏はよく分からないとしている。
私もよく分からないが、後に浄土教団が破戒を理由にして
弾圧されたことを考えるとかなり重要かとも思う。

さらに、問題であったのは観仏と念仏のことである。(上巻P195)
現在では念仏といえば、「南無阿弥陀仏」と唱えることであるが、
当時はそうではなく「仏を念ずること」でありその中心は
「仏を観想すること」であった。

この「仏を観想すること」は大変な行である。
極楽浄土をありありと思い浮かべなければならない。
これは極めて難しいので口で南無阿弥陀仏と唱えるように
法然上人は主張したのである。

ところで、法然上人は比叡山を去ったあとどのような行を
していたか。
じつは毎日6万回、死期が近づいたら7万回の念仏という
すざましい行をしていたのである。
いったいどれ位の時間がかかるのか。

私は虚空蔵菩薩の真言を毎日2万回唱える行をしたことが
ありますが、それですら平均12時間位かかっています。

虚空蔵菩薩の真言のほうが念仏より長いことを割り引いても
これより短いとは思えません。
仏教書には法然上人は易行の道を開いたといわれていますが、
普通の人にとっては苦行とは思えても、とても易行とは
いえないと思われます。

ところが、これは易行なのです。

何故易行なのか?
これはまず行というものを理解しなければいけません。

ところで、私は30過ぎてから、仏門に入りました。
別に実家がお寺というわけではありませんので、
何で?とよく理由を聞かれます。
でもよく分かりません。

あえて言わしてもらえれば、俗には「行きがかり上」
仏教的には「仏縁」あったとが言うことでしょうか。
つまり、自分の意思よりも、何か他の力によって
引かれていたのです。

何のためにこの話をしたかというと、実は行も同じなのです。
行も自分の力で行うというよりも、何か別の力に導かれて
行うものなのです。

ですから、傍から見るよりも大変ではありませんし、
楽しく感じることさえあります。
法然上人も大変なことをしているという感じは無く、
むしろ、行を楽しんでいたのではないでしょうか?

そうでなければ、毎日6万回の念仏を続けることは
出来ないのではないでしょうか。 

法然上人は不思議な夢を見ています。

それは極楽の観想の夢です。(上巻P402)
つまり、法然上人は自らが否定した観仏を完成させていたのです。

研究者の中にこの体験を否定する人がいる(P408)そうですが、
否定すべきものではありません。
法然上人は明らかに観仏にも通達していたのです。
それにもかかわらず、法然上人は念仏にこだわったのです。

また、法然上人は上西門院、後白河法皇、九条兼実といった
天皇・貴族に戒を授ける一方で庶民にも説法を行っています。
「一百四十五箇条問答」(下巻P31)
「にんにくや肉を食べても7日たったら仏事をしてもよいか」
とか「子供を生んで百日の間は神や仏にお参りするのを
はばかったほうがよいとおもわれますがどうですか」
などの素朴な疑問に丁寧に答えています。

これは現代の僧侶にとっても多いに参考になるもので、
法然上人の暖かい人柄がしのばれる。
僧侶のあるべき姿を示したものともいえます。 

法然上人の弟子の中には不思議な最後を遂げた人がいます。
法力房蓮生は「口から光を放ち、異臭が漂い音楽が聞こえ
紫雲がたなびき」(下巻P172)といった最後を遂げ

津戸三郎為守は早く阿弥陀仏が迎えにきてほしいと念仏を
唱えながら腹を切り内臓を切って捨てたが苦痛はなく
2ヶ月近く生きながらえた後に息絶えた。

これが事実とは考えがたいのですが、少なくともその当時は
これが事実と考えられる要素があった。
すなわち、法然教団はそのようなことが起きても不思議ではないと
思われる位の厳しい行をしていたのではないでしょうか。

しかし、それゆえにか、法然教団が弾圧されます。
この話について梅原氏の指摘によれば直接の原因とされる
安楽・住蓮事件(下巻P208)については冤罪とのことです。

そして、その根底にあったのは「女犯と肉食」と
「選択念仏」の問題です。

「女犯と肉食」については、法然上人がそれを認めていたわけ
ではありませんが、法然教団につながる者の中に一部の
不心得もの(現在ではそういえなくなっていますが)
がいたようです。

法然上人はたとえそのようなものであっても、
極楽に往生できると考えて黙認していたのでしょう。
ところが、それが標的になったようです。

この話について「女犯と肉食」についてはどれ位重い罪か、
私にははっきり言ってよく分かりません。
しかし、現在でも大峰山のみ残る「女人結界」
(かつては日本の霊山のほとんどにありました)と
関係があることは確かです。

昨日の続きです。
仏教と「女人」(こういう書き方をすると
既に誤解されやすいですが)についてはいろいろ
誤解されていることが多いのでちょっと書きたいと思います。

まず「女人結界」については、現在残っているのが
女人結界だけなので、女性が差別されていると感じる方も
いるのではないかと思います。
ところが尼寺は男子が入ることが禁じられていましたので、
基本的には戒律上の問題です。

つまり、異性が修行の妨げになるということです。
現在でも真言宗では行中は異性とは接しません。

もう一つ女性が仏教で差別されているかどうかの問題があります。
確かに戒は僧が250戒に対し僧尼は348戒と多いですし、
女性は「五障」がある(梵天、帝釈天、仏などになれない)
といわれています。

このことを見ると確かに女性は差別されているように見えます。
ところが、日本ではあまり考えられていないことがあります。
それは輪廻の思想です。

つまり、人間は死んでも直ぐに(49日間)何かに生まれ変わる
という考え方です。
次に生まれ変わるのは必ずしも人間とは限りませんので、
仏教の不殺生戒(生き物を殺してはいけない)もこれに
由来していると言われています。

すなわち、男性として生まれてきているのは、前世までの行いに
よってたまたまそうなっているに過ぎないことになります。
女性についても他の生き物もそうです。
恐ろしく長い時間の中で考えた場合、今男か女かということは、
ほんの一瞬の出来事でしかありません。
ですから、女性差別とは考えられなかったのではないでしょうか?

もう一つの「選択念仏」のほうは深刻です。
これは法然上人としては譲れるものではありません。
一方の天台宗にとっても死活問題です。

まず天台は総合仏教で、法華経を中心にして
円(法華経)・禅・密・戒の兼学を行っています。
これは、天台に限らず当時の仏教は真言も
奈良仏教も総合仏教でした。

また、浄土信仰は天台にも広まっていましたが、
完全に天台の教義から離れたわけではありません。
(ちなみにほぼ同時期に禅宗を開いたといわれる栄西禅師は、
天台僧としても歴史に名を残すほどで、密教の著作も多く
禅はその一部でした)

ですから、口称念仏だけの宗派を認められるものではありません。
大変な反発があるのは当然のことです。
大原問答で天台が敗れたことにより、口称念仏が天台に
劣らないと思われ、法然上人に帰依者が出てきたことは
見逃しがたいものに映ったことでしょう。

またこれは私の推測ですが天台宗は伝教大師(最澄)の頃、
受戒を受けさせるたびに他派(主に法相宗)に弟子を
取られて悩んでいました。

それを防ぐために比叡山に戒壇を建てたのです。
今また新たな宗派が天台宗から起こった場合
天台宗が弱体化する恐れがあると考えたので
はないでしょうか。 

法然上人の思想の中で興味深いのは悪人成仏と二種回向です。
悪人成仏とは「悪人こそ救われる」という
親鸞聖人の悪人正機説である。

「この思想は(法然上人)の「選択集」にははっきりと
語られていない。しかし、そういう思想が法然に無かったとは
いえない」(下巻P364)と梅原氏は語っている。

古代インドで阿弥陀仏が信仰されるようになった背景には、
異民族の侵略があった。

つまり、異民族と戦えば仏教における殺生戒を破ることになる。
殺生戒を破ったものは地獄に落ち、長い間苦しめられる。
しかし、戦わなければ皆殺しにされる。
降りかかる火の粉をどうするか、というぎりぎりの選択を
迫られた時に信仰されたのが阿弥陀如来であった。

たとえ殺生戒を破ったものであっても、自らの罪を悔い改め
阿弥陀如来にすがるものならば、極楽浄土に
往生できると説いたのであった。

良い行いをすれば報われる。
悪い行いをすれば罰が当たる。因果応報ともいいます。
しかし、悪いことをしたら永遠に救われないか?という問いに
答えたのが浄土の教えであります。

毎日のように暗いニュースが報じられる今の時代にこそ、
必要とされる教えかもしれません。

二種回向とは聞きなれない言葉です。
恥ずかしながら私も初めて知りました。

通常浄土の教えで説かれているのは、阿弥陀如来の誓願を信じて
極楽浄土へ往生する(往生回向)ことであります。

ところで、この極楽浄土は大変誤解されています。
先日もある人から「仏教とキリスト教の違いは死んでから
極楽へ行くか、天国へ行くかで、極楽も天国も同じ」と言われ
びっくりしました。

どこが違うか。
一言で言えば、天国はそこへ行ったらそれで終わりです。
ところが極楽はそこで仏になる為の修行をするのです。
修行するために行くのはいや、などと言わないでください。
(実際そう言われたことがあります)

仏になるのは大変なのです。
通常は三劫成仏といって大変長い間(計算したところ
4500垓年以上ー京の上の位)何度もいろいろな世界に
生まれ変わりながら修行しなければなりません。

それを考えれば極楽に生まれて美しい風景の中で、
妙なる音楽を聴きながら、修行することが如何に楽であるか
分かるでしょう。
さて仏となってどうするか?その先があります。

「(また回向と言ふは、かの国に生じおわって、
還って大悲を起こして、生死に回入して、衆生を教化するを
また回向と名づくなり)つまり、念仏の行者が阿弥陀浄土に
往生した後に、また、衆生を救済するためにこの生死の世界に
帰ってくるのが回向である」下巻P381
これが還相回向です。

この往生と還相の二つの回向が二種回向です。
現代においては生きていることを重視し
「死に方」「死の先」
というものについてはあまり考えられていません。

「死に方」などといえば縁起が悪いといわれそうですが、
何時かは必ず誰にでも訪れるものです。
かつては、死ぬ間際には阿弥陀如来の来迎を願い、
掛け軸や仏像を枕元に置き、皆で読経しながら
見送ったと記録にもあります。
お通夜で行われている枕経はその名残です。

しかし、今ではそのようなことも無く、ほとんど病院で
見送られています。どちらが安らかな「死に方」でしょうか。

「死に方」を考える以上「死の先」についても考える必要が
出てくるのではないでしょうか。
この浄土の教えはその選択肢の一つだと思います。(


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